かけがえのない存在はもういらない。

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だいぶ涼しくなって、散歩の時間を遅らせました。
今日は朝食後、8時半頃にお散歩。

散歩のついでにお彼岸のお参りをし、今ブログを書いています。

きなこが虹の橋を渡ってからも、同じルートをずっとひとりで散歩をしています。

そろそろ近所の人達がいない存在に気付き始めてきたのか?
「ワンコどうしたの?」と声を掛けられます。

早朝散歩の時は、顔見知りの人に遭う確率は低かったのですが、今日は遅かったので顔見知りに遭うハメになりました。

やっと最近、泣かずに「きなこ」の事を話せる様になりました。

今朝は元・町内会長さんに出くわしました。
この方、ウチの母親と同い年で80歳です。

少し前に会った時に挨拶をしたのですが、少し認知症が入っちゃったか?と思いました。

数か月前から柴犬を飼い出したみたいで毎朝犬を連れて散歩しています。
そして1匹だったのが2匹に増えていました。

元・町内会長さんが「何?ワンコどうした?」と聞いてきたので、7月に逝ってしまった事を告げました。

「早く次を飼わないと!。」と言うのです。

わたしが、「いやぁ、もう飼えないですよ。」と言うと、「飼った方がいいよ。」と。

今日の元・町内会長さんは以前の様にしっかりとした話っぷりで、少し前に認知症?と感じていたのがウソみたいでした。

何でも、嫁いだ娘さんが「ボケちゃうから」と柴犬を置いていったそうです。

置いていってしまったから自分が世話をするしかなく、朝晩の散歩や食事、病院へのワクチンなどなど忙しくしているみたいです。

「毎日ぼーっとテレビばかり見ていたけど、やっぱりボケちゃうからね。1匹だけじゃ昼間遊び相手がいないと可哀そうだから、もう1匹飼う事にしたんだよ。」と嬉しそうに話していました。

今のわたしは、「かけがえのない存在」を持つ事が怖いのです。
きなこが逝ってしまった事の深い悲しみと共に、正直、少しホッとしている自分もいるのです。

容態が悪くなった時のあのとてつもない不安感。
言葉を話せない相手の苦しむ姿を目の当たりにしながら全てひとりで決断し、見守り、祈り・・・。
そして最後の失った時の悲しみ。

それを思うと、もうかけがえのない存在を持つ事に躊躇してしまいます。
癒しや幸せをいっぱい貰ったけれど、いっぱいの愛を与えたけれど、それと同じくらい心配や気苦労が多い。
大事だからこそ「失う」時の恐怖と隣り合わせ。
やっぱり、もう無理だわ。

人も然り。

淋しい考え方かもしれないけれど。。。

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