家出した15の夜。
横浜の中華街で飲茶ランチのツアー・・・。
昨日のブログで日帰りツアーの事を書きました。
わたしの中で、横浜、中華街、山下公園というワードを母の前で口にすると、、未だに胸がチクっとするのでした。
そう、あれは15の夏休みだったっけ。
尾崎の歌じゃないけれど、『行き先も解らぬまま暗い夜の帳の中へ~』ってな感じで家出をしたのでした。
何なんだろうね?
自我の目覚めだったんだと思います。
両親の愛の元、何不自由なく暮らしていて世の中にも何の不満も無く幸せに暮らしていたんだけれど、変に虚勢を張っている自分がいました。
当時のわたしは、「家出くらい出来ないようじゃ・・」と何に対していきがっていたんでしょうかね(笑)?
んで、、
日系ブラジル人の同級生のコと一緒に家出を決行したのでした。
ブラジル人のコが夜中に迎えに来て、2階のわたしの部屋の窓に小石を投げるのが合図でした。
事前にシーツを結んで長い紐状にしたものを用意して、そのシーツを下に垂らして2階のベランダから外へ出ました。
子供の頭で考える事は矛盾だらけで、家出して家にはもう帰らないつもりでいたのに、
夏休みの宿題を全てリュックの中へ。。。まじめかっ!
行き先も全く決めていなくって、駅の切符を買う窓口で咄嗟に出たのが「横浜の方まで」。
ほうって何だよって感じですよね。
この時、家出だとバレるんじゃないかとすごくドキドキしましたね。
鈍行列車に乗って、、横浜まで行ったのでした。
電車の中では不審に思われたのか?行商みたいなおばさんにいろいろと聞かれたんだけれど、「夏休みで横浜の親戚の家まで遊びに行くんですぅ~。」とか何とか嘘が上手な娘でした。
そのおばさんから桃を2ついただいて、、ガタゴトと列車に揺れながら桃にかぶりつきました。
甘い桃でした。
横浜についてから、山下公園へ。
そこで高齢のご夫婦が重い荷物を持っていたので、荷物を持ってあげたんですよ。
その時も「どこから来たのか」とかいろいろと聞かれたのですが、嘘八百並べてね。。
そしたらこのご夫婦が、荷物を持ってくれたお礼だと中華街へ連れて行ってくれてお昼ご飯をご馳走してくれたのでした。。
その後、中華街で一緒に家出したコと一緒に住むアパートを探したんですよ。
15歳の子供がアパートなんか借りられるワケないのにね。
中国人向けのアパートを物色していると、中国人同士の怒号が聞こえたり、異様な感じに怖くなって「もう帰ろうよぉ。」と泣き出してしまったわたしなのでした。
けっきょく、その足で地元に戻り、、でも家には帰れずブラジル人のコの住む市営住宅の自転車置き場でもう1泊したのでした。
蚊に刺されまくって、わたしは「もう家に帰るよ。」と言って早朝に自宅に戻りました。
家に戻るとちょうど母が玄関から出てきた所で、わたしは「ただいまぁ~」と言いながら手を振ったのでした。
「あんまり心配かけるんじゃないよ!お父さんに謝りなさい。」と母はボロボロと泣きながら言ったのでした。
寝ている父を起こして謝ると、こっぴどく叱られると思ったのですが意外にも「お母さんに心配かけるんじゃないよ。」と言ってまた寝てしまいました。
その後も特に叱られる事もなく、フツーに毎日が過ぎて行きました。
日系ブラジル人のコの方は、もともと両親との関係が良くなくて。
この家出をキッカケにブラジルに住む祖父母の元へと強制送還されてしまいました。。
それ以来、会っていません。
横浜、中華街、山下公園。。
わたしにとっては、とても苦い苦い思い出が残る場所なのでした。。