失われた感性。
ちょっと探し物をしていて普段は見る事もない書棚をガサゴソと漁っていました。
懐かしいノートを発見し、しばし見入ってしまいました。
これは母親が16、17歳頃に使っていたノートです。(66年前のもの)
秘密のノートね。
実はコレ、わたしが20代の頃に実家を出る時に密かに持って来てしまったノートなのでした。
実家にいる時にこのノートを発見したのですが、母には話していませんでした。
なので、当時、母親はこのノートの存在すら知りませんでした。
それから月日が流れ・・いつ頃だったかしら、、わたしが40代の頃かな?
母に見せたんですよ。
案の定、全然覚えていませんでした。
懐かしがるかしら?と思ったのですが、なんか淡々とした感じでノートを見てましたね。
感動もないご対面でした。
ってか、関心が無いご様子でした。
当時なぜこのノートを持って来てしまったのか。。
中を読んでしまったのでバツが悪くて、言い出せませんでした。
別に変な事が書いてあったり、日記だったり・・ではないのですが、何となく思春期の頃の母親の内面を見てしまったような気がして気恥ずかしかったんだと思います。
母がこの世を去った時に棺に一緒に入れてあげよう・・などと、バカな事を考えていました。
(写真了承済み)
ノートに記されているのは、数々の短編小説です。
あの母親がぁ~?と、このノートを読んだ時にはびっくらしましたよ。
小説の中には小学館の「女学生の友」で佳作入選した作品もありました。
女学生の友・・。
調べてみたらばWikipediaによると1950年から少女向け月刊誌として創刊されていたんですね。
文章の表現力がいいな・・と思った一節を少し書き出してみると・・。
「今日もまた、地球の皮むきをしながら考えた。」←畑仕事
「川辺の緑を写し、たっぷりと澄み切った川のせせらぎは、足のひらをくすぐって小砂利を川下へとさらっていく。」
「紫色をした五月の風は、祖母と二人茶を摘む影を、タップダンスをしながら走り抜けて行く。」
「一すじ道を走るバスの窓ガラスに、雨のしずくが絶え間もなく流れて- 白く曇る窓ガラスを手のひらでそっとなでると「ヒヤリ」と上気気味の膚は心良く湿る・・」
などなど(笑)。
娘時代のこの感性をどこに置いて来てしまったんでしょうかね~・
感受性豊かな思春期の頃に書いた自分のポエムだったり、出すあてのない手紙・・を、お片付けの何かの拍子に見つけて読んだ時の衝撃ってありませんか?
どひゃ~って感じのやつね。←臭すぎて
年を重ねるごとにあの頃の感受性というか、、感性が衰えて行くのを感じています。
どこかに置いてきちゃうんですよね。
言葉だけじゃなくて、若い頃の自由な発想とかアイディアも出てこない。
革制作をしていても痛感するのです。
失われた若い頃の感性よ、今ひとたび現れて欲しいです。