ひとつずつ、目の前にあることを・・

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20251010の素材

 

朝晩、だいぶ涼しくなりました。
母は早朝に起きて、ひとりで歩行練習をしていますが、今朝は寒くて早々に帰宅しました。

母ですが、歩行もだいぶしっかりしてきています。
横断歩道も以前は40歩かけて歩いていたそうなのですが、「34歩になった!」とドヤ顔で言われました(笑)・
本人の努力のたまものですね~。

 

救急搬送されてからの記事から、応援のポチが多く落ち込んではいるものの読んで下さって応援して下さる皆さんがいると思えるだけで元気が出てきます。
感謝です、ありがとうございます!

 

 

さて、

 

前回からの続きです・・。

 

呼吸器内科の診察が終わり、待合で待っていた母に報告。
母は特に顔色も変えず、病院を変えることにも賛成でした。

お昼時間になっていたので病院内のレストランへ行くことになったのですが、母が「景気づけに鰻でも食べようか。」と。

「え~っ、無理無理!食欲無いし食べられない。」と言うと、「そんな意気地のない事でどうするの、情けないねぇ。」と怒られ・・。

この人はいつもそうなのです。
最初のガンの時もそうだった。

とにかく気丈なのだ。
困難な事が起きると、ファイティングポーズを取る人です(笑)・
この人の娘なのだから、わたしもファイティーン!で行かなければね。

さすがに鰻は食べられなかったので(残したら勿体ない)、お蕎麦にしました。
いちお、完食。

同じカテゴリーの方のブログやお気に入りのブログなどを読むと辛くなり・・見れず。。
いつも見ていた景色が一変してしまいました。

パズドラもやる気がしない、ドラマの見逃し配信も見たくない。

2~3日、そんな感じでしたが、現在は復活しましたよん。
食欲もあり、夜中にトイレに行く必要がないので夜もぐっすり眠れています。

なんて言うか・・・

もう既に14年前にガンがあったという事が返ってショックを和らげている感じです。
なんかさ、もう、これってさ、今更どうしようもないぢゃん?
これが「さだめ」、「運命」なのでしょう。

今回の救急搬送は必然的にこの事を知らせるためだったのかなぁ~と。
偶然と必然が折り重なって。

母が救急車の中で「ガンの治療をした〇〇病院の方がいいんじゃない?」と言わなければ、そのまま近くの病院へ運ばれていた。
そうしたら、過去のCT画像と比べる事も無かった。

今が手術のタイミングだよと何らかの力が働いたのかも。

なーんて、前向きに考えたりしてます。
知らぬが仏でいられた14年間は幸せだったし、特にこの10年間は仕事も辞めてセミリタイア生活に入り、「今、わたしは老後のエンジョイ生活を前倒し、しているのかもなぁ~。」と漠然と思っていたけれど、本当にそうだったとはねぇ~。

 

まずは、このおしっこバッグが外れて・・自己導尿を始める事が先決ですね。
目の前の事をひとつひとつ、、やって行くしかありませんから。。

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